ゲームクリエイターの生と死

【荒んだアーティスト、デザイナー、クリエイターのためのガイドブック】 悲しい表現が含まれています。

ポケモンGO【に学ぶ】

ポケモンGOは2016年7月6日にロンチされたそうです。 一周年を迎えたと聞き、正直驚きました。 一年が早い。。

日本版のリリースは上記から半月後とのこと。ますますびっくりです。

筆者はポケGOの聖地と呼ばれた錦糸町錦糸公園近隣に住んでいることもあって、昨夏は「随分と変わってしまったな」と思いながら、ざわめく公園を眺めていました。

公園の遊具にはキープアウトのような立ち入りを制限する黄色のテープ。 ルールを提言する張り紙はあちこちに貼られ。 看板が建てられ。 抗うように看板は取り外され、投げ捨てられ。

芝生は荒れ。 芝生は枯れ。

人を動かすことの恐ろしさは経験と体感で知っているつもりでいましたが、私の知識はチケットとスタッフ、そして日程に制限されたものであったと知りました。

若者が大声を上げます。

カメックスがいたぞ!」

驚きがざわめきとなり、そのざわめきは伝播してどんどん遠くへ広まり、、人民の大移動が始まり。。

これがムーブメントかと思い知りました。

それからのこと。死者が出たとの報告で全国が騒がしくなりました。

同時に逮捕者が生まれました。

(私の中では)ゲームとロボットはイコールではありませんが、ロボット三原則ではありませんが、、ゲームが社会に悪影響を与えたことに心が痛みました。

私にとってのゲームとは身体と心を育てるツールという定義だったからです。

私の考えるゲームとは、ギャンブル装置ではありませんし、洗脳装置でもありません。

日常で摂取できないものを補うためのサプリメント的なもの、叶えられない驚きや楽しさを提供する装置のように考えています。

遊園地や公園の遊具に安全が担保されているように、ゲームにも安全が担保される「べき」、、というか当然に担保されている「筈」と思っていました。

しかし。

本日、午前4時、、ソシャゲ課金で離婚しそうな夫婦から「価値観違い過ぎてもうダメかも」と連絡が入りました。

私は10年後も「ゲームは健全な趣味」と言い張れるのか、ちょっと自信がなくなってきました。

悪意をばら撒く糞バカというのは(自覚的か無自覚的かはさておき)今日もどこかで糞な企みをしているわけです。

現代アートの名を借りて悪意をばら撒いたカオスラウンジ(ほぼ駆逐済)のように、糞バカが正真正銘の糞バカであれば対処も楽なのでしょうが、、金儲けのプロは世論形成もゲームのように軽く成し遂げます。

私の愛したゲームがこれ以上汚されないようにと願います。

10年経っても楽しい思い出として振り返ってもらえるような文化として、これからも愛される存在であっても欲しいとも願います。

短冊がないのでブログに書きました。

願い事を本気で叶えるために、前を向いて、自分も力のひとつになりたいと願います。

追記:離婚は自業自得ですね。制御してこその自分だと自分にも言い聞かせています。想像力の問題です。

アンパンマン【に学ぶ】

五歳になった娘が急激にアンパンマンを拒否するようになりました http://twinavi.jp/topics/tidbits/592651ca-1f54-4700-ad4f-54b2ac133a21

リマインダーとして保持していたandroid chrome のタブ数が100を超えて早数カ月。

chromeのブックマーク機能が整理に適していないことが原因で、リマインドしたいものはkeepに投げていたのだが、keepの整理も面倒という状況で、答えの出し難い議題はblogに書くことにした。

第一回はアンパンマン

生理や欲求を考えた時、子供の考える必要十分な刺激のレベルとは何処か?

(超えればトラウマ、満たされなければ退屈で眼中にないものとなる)

先日に複数の子供を横浜コスモワールドまで連れて行った。

遊園地のアトラクションには怖さを売りにしたものが随分ある。

小学二年生の男子は「恐怖の館」なる西洋お化け屋敷に興味津々だった。

年齢制限は3才。

4歳児が一人でお化け屋敷ってありなの?、、と保護者視点としては不安に思ったが、こちらが案じていた7歳時は予想を大きく裏切り、ゲラゲラと笑いながら出口からダッシュで出てきた。

びっくりした。

大学時代の漫研の先輩は食パンマン様〜と言いながら毎日食パンマンと食卓を囲んでいた。

何が何をどこで卒業するかはそれぞれなんだろうが、コア層を考えた時には絶対に何らかの理由がある筈で、、アンパンマンが子供っぽいと言われてしまうことにも絶対に理由はある筈なのだ。

それは内面から浮かび上がったものかもしれないし、友人の意見かもしれない。

アンパンマンを遅れているものと見なしてしまった5歳児の意識を知りたい。

研究するにはサンプルが足りないため、私の意見は予想を超えないものとなるが、、きっと5歳時と4歳児の違いは、他者の怒りに反応するかどうかではないかと思う。

アンパンマンのエネルギーは愛であるが、その裏にあるものは怒りだ。

ぐでたまリラックマ、キティやマイメロといった感情の薄いキャラクターが万人に支持される理由は、時代もあるだろうが、暑苦しくない。

かつてのアニオタや特撮オタが世間から敬遠された理由とは、やはり暑苦しく見苦しいからだ。

シラフで歌うペガサスファンタジーには価値はないが、高熱のペガサスファンタジーに価値を感じるのも一部なのである。

私は空回りする程のエネルギーを持ったまま大人になってしまった。

アンパンマンになりたいまま小学生になり、勇者になろうと思っていた。

私は、覚めた子供は嫌いだ。

けれど、暑苦しい子供も嫌いだ。

賢者になって魔法でなんとかしたい。

この世との未練が切り離されて死んでしまった友人を生き返らせてもう一度冒険の旅に出たいと思う。

(がそれは叶うことのない夢物語)

ファンタジーの世界は優しい。

アンパンマンはそういう意味で、あんまりファンタジーじゃないんだろう。多分。

追記:お腹が空いたならパンを食べればいい客と、その逆にフラフラになりながらもパンを配ってる変な奴がいる。 どちらがホームレスの身なりか判らない。

私は子供の頃から配る奴になりたかったけれど、、頭の中にある自分の記憶よりも随分と早い時期から立ち位置を決めていたのだな、、と気がついた。

(最近はラーメン屋という職に興味が湧いて仕方ない)

ストーカー【に学ぶ】[1]

『ストーカー 逃げきれぬ愛』は1997年の読売テレビ制作のドラマです。 この作品は数年に一度見返したくなる傑作で、DVD化されていないこともあり、HDDに永久保存扱いで保存しています。

クリスマスイブにいらない花束を通りすがりのしょぼくれた男(渡部篤郎)に差し出してしまった女(高岡早紀)が、ニヤニヤ8割、癇癪2割でひたすら粘着される、といった特筆すべき筋はない全10話のスリラーです。

特筆すべき筋がないというのを分かりやすく書けば、こういうことです。
「キャー。このおじさん変なんです」
「変なおじさんってか。だっふんだ」
志村けんの変なおじさん術。この術を全10話のドラマ仕立てにした感じです。

そもそも、変なおじさんというのは構成で面白く落としているだけで、本質はホラーです。

変なおじさんのバックボーンは誰も知りません。 異常者であるということだけが明らかで、それ以外は不明。 正体不明の異常者が付け狙ってくる話というのが本質ですから、普通に描けばホラーとして仕上がる筈なのですが、緊張と緩和のパラメータ調整をすることで本来ホラーである筈のシチュエーションを日常化させ、コメディーへと変化させています。

変なおじさんは本来、身に迫る脅威を与える恐ろしい存在な筈なのです。 ですが、B級エロというオブラートで包むことにより、脅威として捉える人を減らすことに成功しているのです。

つまり、、変なおじさんは(自覚的であるかどうかはさておき)舐められるポジションを用いて、自己弁護する・されるスタンスを獲得しているのですね。

話を戻しまして。

トーカーとはいったい何なのか。考えたことはありますでしょうか。 ストーカーの恐ろしさとはいったい何なのか。考えたことはありますでしょうか。

トーカーとは、付き纏う人のことを指します。

つまり、、ストーカーと変なおじさんとの違いは「継続性」にあるのです。

ばったり出会った変なおじさんも普通に気持ち悪いんですが、、それが継続していることに恐ろしさがあるわけです。

ではここで表題を読み返してみてください。 『ストーカー 逃げきれぬ愛』です 「逃げ切れない、、」んですね。

被害者サイドが「逃げきれないかも」と脳裏に描いてしまった瞬間、加害者である変なおじさんはストーカーとなるのです。

このドラマでは「逃げきれないですよ」ということを視聴者に知らせるために、まず第一話の冒頭から飛び降り自殺者を出しています。

「大事にしてたクラリネット壊しちゃったよ、、」と思っていたかは定かではありませんが、主人公である渡部篤郎は肩を落としています。 そして、そのタイミングで優しさを見せてしまったのが、もう一人の主人公である高岡早紀です。

あーこの人は優しい人だ、この人は僕の理解者だ、この人なら僕のすべてを分かってくれる、これは運命だ、分かってくれないなんておかしい、運命から背こうとするなんておかしなことだ、私はあなたとの運命のためにその障害を取り除こうと思うよ、、とまぁそんな風にストーカーは悪気なくエスカレートしていきます。

このドラマはその流れがとてもよく表現されていて、警戒を強めた被害者サイドは対抗策を用意し、加害者の企みを打破します(カタルシス)。
その後、加害者は対抗策の対抗策を思いつき、被害者サイドを打破します(これもまたカタルシス)。 まるで均衡しているスポーツのようです。 バランスというものの重要性を再認識したい。そういう時に見返したくなるとてもよく出来たドラマです。

坂本美雨のデビュー曲でもあるテーマ曲、坂本龍一 featuring Sister M - The Other Side of Loveも素晴らしくマッチしていました。 「生まれてこなければ本当はよかったの?」 、、視聴者の気持ちを代弁した素晴らしい一文です。

(ストーカーが生まれてこない方がいいというのは明らか。また、こんな状況に追い込まれるなら生まれてきたくなんかなかったわ、とも)


私は、ここ数年ストーカーによる被害を受けているのですが、この状況をそこそこ面白がっています。

勿論、苛立ちや腹立たしさをそれはそれは長い間抱えておりましたし、今でも、理不尽過ぎる言い分に心をかき乱されることは多々あります。

それでも、人は慣れるんですね。

もし相手が一流のストーカーであったなら、こちらの対抗策を上回る対抗策を用意して私を飛び降り自殺でもするくらいにまで追い詰めてしまうのでしょうが、相手は並のストーカーです。変なおばさんです。

先にストーカーのことをホラーと言い表しましたが、、喜ばしいことに私はホラー映画の主人公ではないのです。 どちらかといえばホラーゲームの主人公に近い存在なのです。

例えば、私が魔界村の主人公、アーサーだったとして。 私にはこのゲームの目的である「姫を救う」という任務が課せられていないので、前に進む必要がないんです。 ゾンビがいたら距離を取ればいいんです。 距離を取りながら「ゾンビキモイなー」とでも思ってれば、ゾンビはそのうち土に返っていくんです。

また、私がバイオハザードの主人公、クリスなりレオンだったとして。 私は変な洋館なり村なりに入っちゃっただけで、変な石柱を動かして謎を解いたりしなくていいんです。 むしろ、「ゾンビ、ワンパターンで頭悪いな」とか「せっかくだから罠仕掛けとくか」とか「あ、罠にかかってる。やっぱり頭悪いな」とか、、決して神ゲーではないんですけど、試行錯誤するクラフトタイプのサバイバルゲームを無料で貰ったような気分と言えなくもないんですね。

(もちろん、全てをポジティブに捉えようとする間はそんな風に思うことも 可能 というだけで、被害は被害と認識できているので、難易度が急上昇したり、回復アイテムが不足したら180度転換して闇落ちする可能性も重々にあるなぁ等々思いますし、主人公キャラと自分を重ね合わせない日も勿論あって、そんな日は飯が砂に思えたり、空気を毒素のように感じたりもします)


えー。 映画やドラマの主人公は敵に倒されることや敵を倒すことが運命づけられています。 映画やドラマの制作者は、その生き死にのドラマから視聴者に何かを訴えようとします。

私はこのブログから皆さんに何を訴えたいのでしょうか。 エンタメとして成立させるつもりであればもう少し笑えるように書こうとも思うのですが、今回はそういう気分ともまた違うみたいです。

SOSですかね。 もしかしたらどこかに縦読みとか仕込んであるかもしれません。 探してみてください(嘘ですありません)

今すぐ警察に行くことも勿論できますし、WEBを用いて相手を社会的に抹殺することも不可能ではありません。

正直、どうしようかなと思っているところです。

そんなにこのゲームに夢中になりたくないんだよなぁと思う気持ちがあって、一人で抱えるには重いなぁと思う気持ちから吐き出し口を求めていて、、こういうことを140文字で書くと普段から統合失調症全開で空リプ攻撃しているストーカーの被害者アピールが激しさを増して私も禿げそうになるので今日のところはブログに。

ブログに書いても解決しないようなら、、私の心の乱れが落ち着かないようなら、、今度は絵馬にでも書いて奉納し、その画像をジオタグ付きでストーカーの居住している地域のまちBBSやジモティーやメルカリのアッテや爆サイ.comに投下する遊びでもしてみようと思いましたが、ここまでやると私がストーカー扱いされてしまいます。

、、やっぱクソゲーです、これ。

、、クソゲーは窓からフリスビーしたい派ですが、今日投げたら勢い余って自分まで落ちそうな気がします。

お酒でも飲んで全部忘れようか。

おわり。

追伸:毎度長文で書いてしまっています。この記事は2002年のアメリカ映画、監督マーク・ロマネク、出演ロビン・ウィリアムズのストーカー(原題:One Hour Photo)について書く予定でしたが、なぜか一行も触れることができませんでした。

思い通りにならない現実って楽しいですね。。

ウルテク紹介ページ

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(4月1日に、あの樹の下で女の子からの告白で結ばれた恋人達は、永遠に幸せになれる)

Devil's Third【に学ぶ】

この一年何してたんだっけ?と振り返ると自然と頭に浮かんでくるワード。

デビルズサード

当該タイトルであるデビルズサード WiiU版のリリースは昨夏。 気が付けば一年はゆうに経過していました。

そして「この半年って何してたんだっけ?」と振り返ると、ゲームの製作も実現可能な仕様への落とし込みなどの補助作業に費やすばかりで、ブログの更新まで止まってしまっていました。
デビサーが発表からリリースまでに5年の年月を費やしたことを思うと半年なんて軽いものだなとは思いますが、この半年は空虚な半年間だったわけではなくて、、いろいろと複雑な半年間でありました。

複雑と空虚とどちらがよいのかと考えて、これはまた複雑だなと遠い目をしてしまったりしますが。

まずは本題に戻りまして。

忙しかったのか、それとものんびりしてたのかも曖昧なこの一年。曖昧な状況を作り出していた張本人である自分が注目していた事柄は、このタイトルの成否であります。

Devil’s Third(デビルズ サード)は、業界の重鎮であるTecmoテクモ)が擁する筆頭チーム『 Team Ninja(代表作:Ninja Gaidenシリーズ、Dead or Aliveシリーズ)』のディレクター格であるクリエイター、板垣伴信氏が独立して起こした『Vallhara game studios(ヴァルハラゲームスタジオ)』が立ち上げようとし、かねてよりアナウンスされていた新規タイトルでありました。

このタイトルの立ち上げプロモーションは、今は亡き海外大手パブリッシャー『THQ』※の資本もあり、バブルを彷彿させるといっても過言でないような異様なほど華やかなものでした。

※巨額を突っ込んで巨額を回収するカリフォルニアスタイルの元玩具会社、大手。2010年にWii用お絵かきボード『uDraw GameTablet』を6歳~12歳向けに売り出して大成功。後、欲張ってXBOX360PS3に展開し140万台の在庫に埋もれて死亡。結果、デビルズサード含めた開発中タイトルを放逐。少なくとも2013年まではサポートするという売り出し文句だったuDraw GameTabletがTHQ自体を2012年末に破綻させるという伝説を残す。
『u』とか『tablet』とかいうネーミングがWiiUに影響を与えたのかは定かではありませんが、不吉な感じがするのは気のせいでしょうか。


さて。

元々、古巣のテクモと裁判沙汰になるなど話題に事欠かなかった板垣氏。

氏はXBOX初代機ロンチ、後継機のXBOX360ロンチ、、そしてPS2ロンチ時において輝かしい功績を残している、、のだけれど、、立ち位置が一般寄りでない為に肝心の認知度はそれほど高くなく、マニア評だけが突出するという形のクリエイター代表でもあります。

また(とはいえ?)氏はマニアすらも投げ出すようなクリエイター対プレイヤーのガチガチな構図を構築することに心血を注いでおられ、落伍者が出ることが前提の尖ったスタイル※であるため、、マニアにすら敬遠されてしまうといった不幸を招いております。

※お客であるプレイヤーをおもてなしする気のない明確な敵意を持った敵キャラ。リゾート地でラブラブするゲーム(DOAX2エロバレー)の場合ですら完全攻略に年単位の月日を要する等、枚挙に暇がない。

Play Station2は17年前の3月4日、、2000年にリリースされたハードです。

今やDVDすら過去の規格として人々は眺めているだろう昨今。時代の流れというものは恐ろしいものだね、、あの頃は国産ソフトがよく売れた時代だったね、、とまた遠い目をしながら思いますが、閑話休題

昨夏リリースされたデビサーは昨今の時勢を鑑みても記録的に売れませんでした。

それもその筈、普及に失敗したハードの代表格である『WiiU専売』であり、さらに、その内訳も通販サイトamazonとダウンロードの専売。

店頭リリースは、無し。

冷静に考えて、売れるほうがおかしい、そんな状況です。

なぜこんなけったいなリリース形態なの?と疑問に思われること請け合いなそのタイトル、、販売元は任天堂だったりもします。

全国に販売網を持つ任天堂が、敢えて通販とDLのみに絞った理由というのが任天堂から語られることは今後も一切ないと思われるわけですが、、

わけですが、、

真相は残念ながら闇の中でありながら、当事者である板垣氏の口からはポロポロとヒントらしきものがこぼれ落ちてきていたりもします。

そんなわけで推測はできます。

揉めたんでしょうね。。

板垣氏は自身のスタンスをオープンにしていくことに抵抗がないため、守秘義務に触れない範囲であれやこれやとネットに書き記してくれるのですが、聴けば聴くほどに聴き手が困惑するようなアウトラインギリギリの、、、正統とは言い難い、、とはいえ無計画ともまた違う、、いうなれば自爆型の炎上プロモーション?とも言える活動を自覚的か無自覚的かわからない感じで繰り広げておられ、その様はまさに戦場のゲリラそのもの。

任天堂からのプロモ援助的なものは限りなく0に近く、それしか選択肢がなかったというのが実情なのかもしれませんが、、発売元に徹底無視されてしまう異常さやその他の異様さが噂のように伝搬していく様は、ある種別次元の例にないプロモでした※。

※別次元の具体例:理由も告げられないまま主役が耳なし芳一風の刺青の入ったグラサン無毛マッチョに変更される。メディアにプロモ用ディスクをばら撒いたら悪魔の糞(デビルズタード)というアダ名をつけられる。操作性が悪いのはWiiUのスティックの感度が悪いからと製作者自ら2ちゃんねるに書き込む。元同僚による怪文書がネットに放流される。購入者とのオフ会の写真を『無断撮影禁止』と宣った本人が無修正でアップロード、とか。


『戦場のリアル』がテーマのデビルズサードはスパイも破壊活動も何でもありのオンラインがメインで、排他行動で領地を占領することが目的です。

つまるところ、他ユーザーを排除したほうが勝ちです。

つまるところ、「こんなゲームやってらんねー!」という状態に追い込まれて投げ出した方が負けです。

システムには敵(相手)を煽るための機能(ビラ撒き)が組み込まれ、開発サイド自らが火の粉を撒こうとしていることは明らかで、ユーザーも呼応するように荒らしを開始し、、荒らしが有利なシステムということもあったせいで、荒らしが荒らしを呼ぶという悪夢のような循環が生まれました。
「、、争え、、もっと争え、、」と地獄の底から声が聞こえてきそうですが、爆撃の画面エフェクトなどがプレイに支障が出るレベルの激しさで、敵の追尾も困難な嫌がらせレベルであったことを鑑みると、もしかしたらゲームで競って欲しくなかったのかもしれません。

、、そんなこんなで主戦場は煽り合いの本場である2ちゃんねるになり、2ちゃんが公式SNSとして認定もされるというとんでもない状況になりました。

結果、ゲームも2ちゃんの掲示板も荒れに荒れ、悪意まみれの荒野になりました。

ついには発売から10ヶ月にしてサーバーが閉じられることがアナウンスされました。

制作費は発売3年前時点で35億円。国内スタッフ100名、ハリウッド含めた海外スタッフ700名。

アニメ漫画小説映画とメディアミックス予定だったコンテンツの第一波は瞬く間に引き潮。

突然の玉音放送に、諸行無常の響きってこんな感じ?と思わされました。

、、戦場のリアルは嘘ではありませんでした。


さて。

予定では400~500万本の販売を見込んでいたデビルズサード

先行して販売されたヨーロッパで3000本とカウントされ、3.5/10とのスコアをつけた海外ゲームサイトIGNは2015年のクソゲーオブザイヤーかも?という発言とともに、以下のように宣いました。

Devil’s Thirdシニシズムの実践であり、実はゲームが嫌いな人間によって作られたビデオゲームのように見える』

、、ゲームとは体験であるから、当該タイトルがシニシズム冷笑主義)的であったかという判断は各プレイヤーに任せるとして、『ゲームが嫌いな人間によって作られた』というレビュー(というか批判ですね)は私にはとても興味深いものでした。

私はゲームを人一倍愛していますが、ゲームとの関わり方の部分で少しだけ人と違いがあります。
一般に「ゲーム好きな人間」というのは「ゲームをプレイするのが好きな人間」を指すと思います。
しかし、私はあまりゲームをやりません。

ゲームを子供のように思っているからでしょうか。
過干渉の親と子供がいるとして、そこにはきっと愛情がありますが、私の場合は放任主義自然主義ということなのかもしれません。
あるがままを受け入れ、眺めることを愛情だと思っている節があります。

とはいえ、状況を眺めるだけのユーザーが増えても、そのゲームは商業的には成功しません。
デビルズサードもそうでした。

決して話題にならなかったわけではないこの作品。結果、冷笑の対象として注目されていた気がします。

任天堂とのコラボ(マリオクラブでのテスト等)を経てリリースされたこのタイトルですが、発売直前には「Devil’s Third Online、PCで発売!」とアナウンスされてもいました。

そしてそのオンライン、、オンゲーとしてリリースされたデビルズサードオンラインは、WiiU版よりも遥かに短命。9ヶ月でのサービス終了となりました。 サービス提供元であったネクソンにはこれといった非がない状況なので、終了の要因分析をするまでもありません。

オープンベータテスト開始時にサーバーがまともに動いておらず、記念の生放送が謝罪会場になってしまったこと。
その謝罪すらも意外性があまりなく、大した話題にならなかったこと。

この時点でもう運命は決まっていたのかもしれません。
PC版はWiiU版で唯一評価された独自要素(相手が手間暇かけて作った要塞を破壊して領土占領していく大規模戦)もスポイルされていましたし、操作がマウスになったことで賛否のあった独自要素(近接戦)もスポイルされていました。 もし、悪意が善意を駆逐していく戦場のリアルがスポイルされていたら未来は変わったのでしょうか。

(そんな未来はないからサービス終了なわけですが)

サービス終了まで9ヶ月と書きましたが、、ユーザーの中ではもうとっくの昔に終わっていたんですね。


戦場に向かう人は死にたくて戦場に向かうのでしょうか。
殺したくて戦場に向かうのでしょうか。

普通の感性ならば、戦いは目的のための行為となるはずで、目的とは「正義の達成」であることが殆どでしょう。
きっとこれが一番重要な『戦場のリアル』だと私は思うんです。

履き違えてしまったから、誰も幸せにならず、関わった人、全てが大損。
いや、全てではないかもしれませんね。

他人の持ち物や気持ちをぶっ壊して「楽しい」と思う、そういう感性の人の正義は達成されたのかもしれません。

THQ任天堂も、WiiUもVallharaも、楽しく余暇を過ごしたいと思ったゲーマーも、、いろんな人が履き違えて失敗=思い通りではなかった未来を手にしてしまいました)

普通の感覚を忘れてしまうことは恐ろしいことです。本当に。


結論。スーパーマーケットの雇われ店長が独立したからといって、イオンモールとかアリオとかゆめタウンをいきなり作ろうとしてはいけない。

(と書いてるこの文章自体が2016年10月からの半年の成果で、私もいろいろ見誤ったり履き違えたりしているなと思うし、、もう既に誤字チェックする気力も時間もないです、、)

デビルズサードオンライン公式? @DTO_nexon

『Devil’s Third Online』は本日11時にサービスを終了いたしました。
これまでご愛顧頂いた皆様、誠にありがとうございました。
サービス終了に伴い、本twitterアカウントも本日中にクローズさせて頂くことになります。

サービス終了にあたりメッセージを頂きました皆さま、ありがとうございます。
個別にお返事ができなくて申し訳ございませんが、温かいメッセージばかりでとても嬉しく思います。

『温かいメッセージ』を私も送りたかったのですが、即アカウント消したみたいで送り先がもうないのでここに書いておきます。

「楽しい」ゲームを作ってくださってありがとうございました。

イースター(復活祭)

運命とはあらかじめ定まったものかとか、揺蕩っているという言葉だとかを卵を茹でながら考えていた。

私の友人は「卵は茹で!」と言い張って引かない人だった。
玉子魔人という高橋克彦のエッセイシリーズに影響を受けたとは聞いている。
ひたすら剥いては呑み込んでいくのをひたすら眺めていた記憶がある。

今週、東京は例年通りに各地区で桜祭りの予定が組まれていた。
しかしながらどの公園も灰色のムードしかない。

私の部屋にはうさぎのピッピが寝そべっている。
つい3日前までテレビの前で息をしていた。
元々穏やかで主張しない性格だったからかあまり違和感がない。

死んでも存在感が変わらないというのは凄いことだなと思う。
定まった形があるからだろうか。

春の存在感を秋に思い出すことは無いように、半年もすれば変わるだろうか。

忘れてしまうだろうか。
(死んでしまったあなた方はどうなのか?)

など、怖い話の類にしたいわけではなくて、もう30歳にはなるであろうフロッピーの中身を蛍光灯の光に透かそうとしながら思ったのだ。

春にして君を想うという曲を出して今でも思い思われている小沢健二をちょっと羨ましく思ったりしたこともあって、人間は痛みも喜びもすぐに忘れてしまう生物だと思うから、かつてここに愛情があったんだということはできるだけ忘れないように記しておきたいなと思った。

HDDのバックアップは取るのに自分の記憶のバックアップは取らないのはなんか不思議だとも思ったことで、ブログを書く理由が一つ増えた。

現に、友人が好きだったのが硬茹でなのか半熟なのかももう思い出せなくなっていて、それが少し寂しい。

(財布の中のLOTO7の結果はまだ見ていないけれど見る必要がないと思う)

32階建て、各階32室のビルを買い、ドット絵でヒヨコでも書いたら子供の頃の気持ちが戻って明るくなるような気がした。

新しい朝が来た

希望の朝だ。

うん、肋骨折れたね。

もう色々と諦めがついてしまうね。

減った選択肢の中でやれることをやろうと思う。

枕元に置いてある角川春樹の魂の一行詞を読もうとしたけど無理だった。

誰かの放ったエネルギーを受け止めるのには自分にもエネルギーが必要なのだと分かる。

生まれ変わったら最強になりたい。