ストーカーに警告を出した
3年以上のストーカー被害に解決が見えそうな、終わってみれば晴れやかな一日だった。 こういった喜びは大概ぬか喜びなんだろうけれど、喜べるときに喜んでおかないと一生笑えなくなりそうだから、とりあえず裸になりたい。
わけのわからないものは遠くへ放り出したい。 3月に相応しい気持ちを作りたい。取り戻したい。
心機一転のあれこれを考えていて、当然ブログも次第には、、と思っていたけれど、とあるサイトにて思わぬありがたき提案を頂戴したので早速更新することにした。
世の中には誰かと繋がりたいという人がいる。私もその一人だ。
人の信用を裏切る者は人の心を凍らせ、結果、人全体の繋がりを薄める。人の価値を貶める。
私は被害者にも加害者にもならないただの道を歩き、色目、欲目のない人を見つけて歪みのない繋がりをつくりたいと思っている。
いつかは知り合った誰かと中学生みたいにエロ話がしたい。
来週はドラマ カルテットの最終話なので今週はもう放り出したい。
故・岩田聡元任天堂社長【に学ぶ】
社長に聞く、社長が訊く。
そういう機会もなくなって久しいですね。
このブログは日常に触発されて思い出したこと等を、いなくなってしまった友人や親族の方に報告する目的で記述していますので、岩田社長研究の役には立たないかもしれません(ごめんなさい)。
でも、独自研究というかは中盤から後半に書いてます。
さて。
芸術の秋。
文化祭シーズンでもある秋。
今月(10月)の上旬、、会話した中学生が「文化祭、めんどくさい、イエー」と韻を踏んで近況を話してくれた。
なんでめんどいのか。。
答えは聞けばわかったのかもしれないが、面倒くさがられる気がしたのでスルーしていた。
気が付けばもう風も冷たい。
この季節は、私の一番好きな季節だ。
私は生来、好奇心が人一倍強い人間だった。
「なぜ部活動の掛け持ちはダメなの?」と掛け合うくらいには、あれもこれもやりたがる人間だった。
生き急ぐ生き方を自分が選んだつもりはない。
そういうふうにプログラムされている、、プログラムされたと思っている。
いろんなことがしたかった私は、運動部に入り、部室でゲームの練習と研究をしていた。
(運動部の練習は点数が出ないものが多いし、ダラダラとしているから、基本的にさぼっていた)
それから何年たっただろうか。私の作りたい、目標とするゲームというのはそのころからずっとずっと変わらずにいる。
その私が夢中になったゲームには、世界がない。
理由もない。ストーリーもない。
理由も何もないのに人は繰り返し繰り返しプレイしていた。
生きることとは何だろう?という中学生の根源的な悩みと無縁のようで、直結しているようで、この世界での体験は本当に不思議だった。
遊びたくなるから電源を入れる。
時間が来れば苦しくなって死ぬ。
それはなぜなのか。
殺されることが自明な世界に、人がわざわざやってくる。
それはなぜなのか。
きっと、何もなければ退屈だからだろうね、、と思うけれど、飲みたい水とそうでない水がこの世に存在するように、、合う空気と合わない空気があるように、、何かあればいいというものでもないのだ。
何も起こらない日々が日常なら、人はその日常にくたびれてしまう。
何かが起こりすぎる日々は言うまでもない。投げ出したくなるだろう。
そんな日々に存在していてほしい何かとは、、自分にとって自然なもので、心地よい刺激をもたらすもの。
日常を平坦と感じること自体は健康なのか?不健康なのか?
それはわからない。
時代が正しいのかどうか。それもわからない。
ただ、時間を超えることはできないのは大前提だ。
だから、今、現実的にできる逃避を、荒れ地に住む人は求める。
ここではないどこか違う空間を覗き見して、自然な居心地の良さや刺激に触れるのだ。
–
今日は一日中、正確には24時間ほどキーボードに向かい、、ただひたすらにデータを作っていた。
Excel、、じゃなかった。LibreOffice Calcは、、30回はゆうに落ちた。
アイデアをリアルタイムに出しつつ、ひたすら加工して入力。
今回作るデータは1000件越えなので、1分掛ければ1000分、10分掛ければ10000分だ。
脳とキーボードを直結させるような気持ちでひたすらに。
時々Calcが停止して再起動して、私は悲鳴を上げる。
まるでゲームプレイのようにゲームを作っていた。
物を作ること自体が楽しいと感じた一日だ。
ただ、そういう感覚を話しても共感はなかなか得られないから、今こうして誰かに向けてブログを書いている。
今夏に一周忌を迎えた、任天堂元社長である岩田聡氏。
その一周忌に向けて同級生26人が記したという書籍が今週、NHKにて取り上げられた。
「岩田氏の原点」を知る同級生たちの証言がその電子書籍には詰まっている。。
そう。
この世を去ったものには例外なく「過去」があるのだ。
高校時代にポケコンでゲームを作り、友人たちに遊ばせていたという岩田氏はよく語られる。
ただ、それ以外にも、、多面的に、人は存在しているのだ。
人が何かに取り組みたいと思う気持ちの裏には、何かから逃げたいと思う気持ちがある。
時間に裏はないからだ。
私がゲーム制作に打ち込んでいる理由にも表と裏がある。
そして、一日は一日として過ぎていく。
今日は一日、裏側では思い悩んでいました。
誰かと、誰とでも、心を重ねればきっと言葉が通じる。
そう信じたいですが、私も若くはありません。
言葉を重ねれば重ねるほどにディティールは露わになり、すれ違っていくことを知っています。
そう思いながらブログ(長い)を書いています。
岩田氏は任天堂の社長就任後、全社員と面談したという逸話を残しています。
岩田さんが社長に就任した2002年の社員数は2977人。。10分掛けたら何分でしょうか。
私は誰かと話すとき、誰かといるとき、その相手を知ろうとして、楽しませようとして、、翌日には燃え尽きるような生き方をしていて、、。
加減を知る、足るを知る。
年齢相応にできているつもりですが、、なんでしょうね。
きっと、26人分で分担して一冊の本を仕上げるようなやり方ができたらよかったんです。
そういう手段を選べない自分の性分にきっと問題があるんでしょう。
私はいなくなった友人を一人で暴いて無期限に記録したいと思っているんです。
まあでも、ここで思うことというのは、岩田さんは「なぜに全社員を自分一人で見ようとしたのか」という疑問です。
分からないことを知ろうとするときに、伝言ゲームは選べない。
そういう考え方が少しはあったんじゃないかなと思います。
(そうでなければただの顔合わせですね)
幸いにも私は友人の陰を追うだけですし、生き証人も多くありません。
伝言ゲームの数自体も多くはないですが、全てが伝言ゲームです。
死人に口はないともいいますしね(ブラックジョークですね) ついでに書きますが、26人が証言してくれるというのは皮肉抜きで羨ましく思います。
長いので締めます。
私が悩んでいることというのは、これまでにできていたことができなくなったことに起因しています。
私は問題解決をしようとするときに、信頼のおける友人にそれとなく都度聞いていたんですね。
そして、それが今はできないんですね。。
私と友人とは、糸井(重里)さんと岩田さんのような関係だったのかもと思ったのです。
そんなに偉くないですが。
結びつきは、そういう感じで。
、、糸井さんの新作が遊びたいですね。
(今日はずいぶんと泣き言や願望を書いたので、これで終わります。読み直しもしていません)
Dead or Alive【に学ぶ】
「生と死」
当ブログのタイトルにもある「生と死」は、古くからの私のテーマだ。
この世に存在する全てはどこかで生まれ、どこかで滅ぶ。つまりは死する。
誰もが意識的であるはずの生(そして死)について、私はことさら自覚的だ。
それは、人よりも多くの人生を生きたからでもある。 (逆に言えば、私は、一般的な誰彼より、確実に多くの死を体験している※) ※ゲームオーバーを迎えた数だけ反芻している私の死生は、シュタインズ・ゲート(運命石の扉)の数だけある。
先ほど、Dead or Aliveのリーダー、ピート・バーンズ(Pete Burns)の訃報が流れた。
ピート・バーンズは整形依存の第一人者という扱いで、晩年は多くの番組で壊れた顔面と私生活を晒していた。
整形費用は一億円を超え、ついには破産に至った彼の心はどのような形だったのか。
想像を巡らせてみたいが、彼は一般的な、いわゆるノーマルな性癖の持ち主ではなかった。単純に推測できるような人間でなかったから、いつまでも消えることなく語られ続ける花火であったのだろう。
ピートの整形依存は、老いへの恐怖からではない。
死への抗いでもない。
理想に近づこうという、クリエイティブな動機がそこにある。
(ヤブ医者被害からの回復も目的であるが、それも理想に近づけたいという動機には変わりない)
Dead or Aliveは1985年にYou Spin Me Round [Like A Record]をリリースし、世界を席巻した。
このニュースも今この瞬間、世界に流れているのだろう。
今月はボブ・ディランがノーベル文学賞を受賞するというニュースも流れた。
Like a Rolling Stone、そして、Like A Record。
言葉は似ているが、一方は転落という破滅(死)を客観で歌い、一方は異性との営み(つまりは生)を主観で歌っている。
ディランは「プロテスト・シンガー」と呼ばれるように、抗議の歌詞を書いている。
、、反体制というスタンスで創作すること、し続けることは大変だと思う。
そんなにそんなに人の為すことに批判的でいられるか?と思うからだ。
(ジョン・レノンに至っては、主張がないとまで批判されてしまっているから、もしかしたら文句をつけるのが趣味だったのかもしれないが)
、、そういう点を踏まえて、私にとって有意義であるものを考えた時、、私が賞を与えたいと思うのはピートの人生の方だったりする。
作品と人格は別という前提は勿論分かっている。
だけれど、私は、、人格や生き様は作品とも一体化するものだと思うし、一体化させて考える事こそが、物と作品の区分を作るように思っている。
(それは、大地震で割れた地面がどれだけ美しかろうが、そのものを芸術と考えないという姿勢でもある)
、、私はこのブログに誰の得にもならない文章を書き連ねるつもりでいる。
意固地に「それでいい」と思っている。
誰の得にもならないブログであっても、これが正直な記録であり、ドキュメントとして成立するなら、、価値はなくとも誰かの材料にはなると思っているからだ。
もし、これら一連の文章がフェイクだったなら、、それは申し訳ないほどに無価値だと思う、、といったような考え方にも繋がっている。
他者を論うことは芸術ではない。。
無論このブログの文章も芸術ではない。。
私が理想とする芸術家の姿勢は、己の信じる美に向かい、ただただ邁進する姿勢で、そこに他者は不要で、、。
私は意固地にそう信じている。
信じる美が「生」なら、そっちに向かって進めばいい。
どう抗っても、ゴールはゲームオーバーという「死」だ。
お迎えの直前の走馬燈が他者を観察する映像で埋まっていたならそれは無駄な人生だと思うし、ゆえに、溝がなくなるまで回され続けてバカになったレコードを、レコードの中のレコードと考える。
それは味のなくなったガムではない。
死んでもレコード。
死んでも人だ。
擦り減り、死ぬことで結実する生き様もきっとある。
いつまでも消えることなく語られ続ける存在が、消えても語られる存在に変わり、なお作品が消えない。
そんな作品、足跡、思い出を残してくれた偉人を賞賛したい。
追記:Team Ninjaと板垣伴信さん、Devil's ThirdとDevil's Third Online、カルチャーブレーンと遠藤さんについても書きたかったのですが、長くなったのでまた後日に書きます。
追記2:板垣伴信さん率いるValhalla Game Studiosが、3DS用新作ソフト「桃太郎伝説2017 たちあがれ日本!!」を手掛けたというニュースが丁度今、飛び込んできました。権利関係が拗れ、今後のリリースはないとまで言われていた桃鉄ですが、どういう経緯でリリースに至ったのでしょうか?「作品と死」というテーマでこれもまた後日に書きたいと思います。
星の数
彼は絵を描く人で、一点を見つめる時間が長かった。
私は生き急いでいて、留まることが好きではなかった。
行き急ぐ理由は、今この瞬間に生きている実感がないからに他ならない。
私は、私がテレビゲームの世界に取り憑かれた理由について時々考える。
子供はシンプルな頭で物を考える。好き、嫌い、怖い。綺麗とか汚いだとか。
テレビの砂嵐を過去のあなたはどう捉えていただろうか。
子供の私は一人きりの部屋で、その動いているような止まっているような嵐に吸い込まれそうになっていたことを今でも思い出す。
その吸い込まれそうな砂嵐から目を逸らすことは容易い。しかし、後ろを振り向いてもそこには誰もいない。だから、誰かに伝えたりもできない。
一人抱える思いだから消化できずにいるのだろう。
車通りに面していない私の実家は屋内にペットがいるわけでもないから、強風でもない限りは何かが動くでもなく、、とても静かだった。
時計の針の音を聞きながら空想するのも好きだったが、そのうち飽きて、主婦向けの興味のない番組にはやはり関心もないから、惰性で新鮮味のないファミコンを始めるのが常だった。
新鮮味のない体験といっても、自分の好きなソフトを選んで始めるわけだから、そのゲームの世界はやはり好きな世界なのだ。
電源を入れてスタートを押せば、真っ黒な宇宙に星が流れていく。
夜の星より綺麗だと思っていた。
楽しいね、優しいね、怖いね、といった小学生の小学生並みの感情の世界に、ある日、訪れたものがもたらした事。
美しくて見惚れるという行為。
その頃の私は現実より仮想空間のほうが絶対に好きだったし、8bitの作り物のアートの方が美しいとまで思ってもいたと思う。
何より、そこは不愉快な雑音のない世界だった。だからこそいつでもそこに行けるように、、ファミコンが取り上げられたりしないようにと思っていたから、、勉強もそれなりにちゃんとしていた。
そんな秋。小中学生向けの美術展のようなものに足を運ぶと、そのシューティングゲームの画面を寸分違わず画用紙に模写したものが表彰されていた。私は同じ目線で物を見ている人がいるということに深く感動して、その絵の前にずっと立ち尽くしてしまった。
その日から、ゲームのキャラを描くという行為を始める。
ただ、私には絵の才能が全くなく、どういうものが美しいのかということも全くわからず、、幸か不幸か、友人関係含め、絵が上手い人が身の回りにいなかったこともあって、、方眼紙ノートをわざわざ買ってはみたものの無駄となり、その頭が良く見えそうな表紙のノートは、ダンジョンのマッピング用ノート、パスワード記録帳、攻略メモという、とてもとても少年らしい使われ方をされることになり、奥に仕舞われた。
時は流れ。
彼は人の絵を見るたびに、こうじゃない?と指摘できるセンスを持った人だった。
見たものを絵に描いて説明できる人でもあった。
彼は動きのあるものに特段興味を示していた。
ついには、描いた顔のパーツをバラバラにして、プログラミングでアニメーションを作り始めた。
私はその行動を見ていた。
動くものが好きで、動かしたがる彼と、動くものが好きで、それをただ見ている私。
このあたりから友人である彼のことを、私は先生と呼ぶようになる。
絵が描けるようになりたかった私は「先生、質問」とあれこれぶつけてみるのだが、彼の説明は絵を描ける人の目線からの説明なので、特別参考にもならず、私には良くわからないものだった。
けれど、美しいものをお互いに、同じように見ることはできたのだ。
デジタルカメラがこの世に誕生してから、私と彼のセンスは似ていたのだなと益々思うようになる。
ただ、彼の配色は、あまり明るい色ではなかった。
私は、青い空に憧れを持ちつつも、夜空の方に心を惹かれる人間だった。
彼がどうだったのかは知らない。 聞けないということは不便なことだなと思うが、振り返ることのできる過去は現実にあった過去だけだ。
今更仕方ないのだろうと思う諦めのような気持ちと後悔がブログ更新のたびに増えていく。
その感情の数が星の数を超えた砂嵐のようになる日がいつか来るのだろうか。
感情を敷き詰めたら真っ白になるのだろうか。
NINTENDO SWITCH【に学ぶ】
先の、NX【に学ぶ】では期待感と信用について書きました。
先を全く考えずにメモの延長で書いているため、書き残せなかった(逆に言えば脳内 に残った)連想した事柄というのが残尿感のようにあります。
コメントでも付けばそこに書くんでしょうが、あまりレスポンスには期待してない事もあり、書きそびれたことはさっさと書いたほうが精神衛生に良い筈と思ったこともあり、、またまたずらずらと書いていこうと思います。
先程、redditに筑摩書房刊「読んでいない本について堂々と語る方法」の話題が上がっていました。
こちらは世界的ベストセラーだそうなんですが、タイトルを見ただけで、「売れるよね」と多くの方が感じられたと思います。
大胆さがあって、知的な問いかけとして成立していて、馬鹿馬鹿しさしさもあって。
ハウツー本は狭い所に売っていく本だと思っていますが、本屋の客ほぼ全員を対象にしてるところも凄いなと思います。
このように、例外を作らず、間口を広くしていくことがヒットの法則なのでしょう。。
と書いたところで、ニンテンドーの話に戻します。。
「これがニンテンドーの新ハード、スイッチだー!!」
ドーン!!
「初出し!!」
としたところで、、、そこでネタばらししちゃうのって手法的にどうなんでしょうと思うんですがどうなんでしょう???
(思考の流れ)
…ああ、、スイッチ。
→なる程、スイッチ。
→こういう理由でスイッチ。。(終)
となりますよね。。
普通、納得と驚きって共存しないと思うんですよね。。。
ちなみにWiiは4台買いました。
うち1台は改造して車輪をつけて、バッテリー駆動にして、プロジェクターで外で遊べるようにして一緒に散歩したりしていました(ド変態)
最高に夢を見せてくれたハードでしたね。。
(私は打ち上げ花火愛好家です)
ちなみにWii Uの時は、「これは売れない断言。絶対売れない」と会社の開発者チャットに書いたせいで、一部の方との折り合いが大変悪くなりました。。
そういう反省もあるのであまり変なことは書かないようにしようと思うんですが、、
これが全部であって欲しくない。
そんな気持ちです。
2人プレイの楽しさを思い出させてくれそうな所はいいですよね。
3DS用ショベルナイト、2人プレイはDLCです別売ですamiiboです人形ですって聞いた時は呆れを通り越して口から呪詛(書けないレベル)が出たので。
追記:人をハブにしたらアンチが生まれます。そんな事してたら先はありません。私は面白そうと気にかけてくれた全ての人が楽しかったと言ってくれるゲームこそが大正義と思っていて、ホレ乗り越えてみろや!みたいな体育会先輩風のゲームが脇に行った昨今の状況が割と好きです。
NX【に学ぶ】
正体不明のものが姿を表す。正体が判明する。
昨日、NINTENDO SWITCHなる新ハードが発表になった。
人は暴きたがる生き物だからワクワクして沸き立つわけだけれども、想像を上回ることはなかなか難しい。
ネットでは、未だ判然としないLAN端子の有無についてのやり取りの中、「任天堂だぞ!」というトレンディエンジェル風の名言というか迷い言というかが生まれてしまっていた。
任天堂は間違いなく「らしさ」というものを持っている企業で、そのアイデンティティーを保とうとしている、、んだろうけれど、瞬間瞬間語りたがる(語らせられる)ために、時流に流された後、正反対のコメントや行動をすることが多々ある。
私はNOAのレジー社長が発した「インディー開発者に門戸を開放する予定はない」という数年前の発言をちゃんと覚えている。
いつまでも神様気取りなんだね、と心から寂しく思ったのだ。
そして、一年程前の「インディーを愛している」という発言を見たとき、やりきれない気持ちにもさせられている。
なんだか、セックスしたいから愛とか言ってみた風で、辛かったのだ。
(ソフトの谷間は作りませんという発言の後に待ち受けていたのが平坦な砂漠だったことも忘れない)
たまに思うことだが、私が好きだったマリオというのは、甲高い声で叫んだり、頭にプロペラとかつけたりするわけわかんない感じじゃなくて、ちゃんと汗かいてる風の「ちゃんとしたおっさん」だった。
、、らしさを見失ったり、見誤ったりしないように、身に刻みたい。
(と書いてみたけど、自分らしいゲームを作ろうとするとどうしても気持ち悪い見た目とシステムになっていく地獄から今日も逃れられないし、相談相手はもういない)
分解1
カタログ。プログラム。図鑑。
既製品にあまり心を動かされることのない私たちは部品となるものを好んでいた。
何かに感動することがないわけではない。
ただ、作られたもの、与えられたものをそのまま受け取って素直に感動するより、「こうしたらもっといいのにね」と考えてしまう様な、ちょっと人より面倒な性質だったんだろうと思う。
「どう組み合わせたら面白いか」
目の前にあるものは材料として考える。
ある種のカップリング厨である私たちは足し算や掛け算でものを考えて、いちいちそれを披露しあっていた。
昼食に購買で売られるコッペパン一つをとっても、「焼いたらもっと旨くならないかね?」と同意を求められる間柄だった。
上の発言は悪く言えば現状批判的で、良く言えば未来を見ているともいえる発言だが、彼は空気を読む性質ではあったので、常日頃、誰彼の前で批判を繰り広げていたわけではない。
私の前ではそういう愚痴や批判の類ととられるような発言をしてくれていた。
だからこそ私も本音を披露する体をとれたのだ。
彼は電子工作を得意としていて、学校が早く終わる日には電子部品を扱う店、パーツ屋に向かうこともあった。
その時の彼は、大体、何を作るか、作ろうとしているかを伏せたままだった。
自身の行動について語りたがらない彼の性格がよく出ている。
私は小学生時分に作ったラジオから音が出なかったトラウマを抱えているので、パーツの類は最初から無視していて、ジャンクの入れられた箱から再生できる中古品を選別する作業に夢中になってしまう。
彼は欲しいパーツが最初から決まっているので、用事はものの2分で終わってしまう。
私は「動くかなー、、動かなかったら損だなー、、動いたら得だなー」と同じ所を巡っている。
その後ろで彼はのんびりと待つ。
結論が出せずに立ち止まり悩んでいる私。早々に事を終え見守る彼。
周囲から見たら同じ人種に分類されるが、本質の部分に少し違いがある。
私はこのブログを開設するまでに二か月間ほど悩んでいる。
様々なサービスを比較検討して、後悔がないように進める。
電子工作もそうだ。私は失敗を恐れるから、スタートボタンを押さない。
彼は失敗を恐れない性質だった。
私のように恰好つけようという意識がないからだろう。
そんなところが恰好よかった。
彼は躊躇いなく物を分解していく。
直す自信があるからだ。
私にはできないことだ。
だから今、彼はこの世にいないんだろうか。