生き様と家、形
彼の家は広かった。独り暮らしには不必要な2階建てで、階段には身体を鍛えるための懸垂用の鉄棒がDIY感剥き出しで設置されていた。
DIYは私と彼を近づけたキーワードだったと思う。
必要に駆られてのDIY。理想に叶うための物作り。
自分に必要なものが世の中に見つからず、周囲から理解されない私達。
無駄にシビアすぎたのだろうと思う。
今でこそ、こだわること=オシャレといったように概念が結びついているが、もう少し軽薄だった少し前の日本は違った。
変わり者、変人、変態に対してとてもとても冷たかった。
ビンテージのジーンズやスニーカー。シルバーのアクセ。ブランドバッグ。理解される趣味、そして理解されない趣味。
既成品の作られた価値を崇める消費の趣味の美徳と、逆に、認められた価値になびかない、面倒な私達、、は、全くの無価値だった。
私達の無駄なこだわりを培ったものが一体何だったのか。未だに判らない。
理由も判然としないからか、世間的に価値のある物を手にしても無言ですっとぼけてしまう私達。
当然のように現世とそりが悪かった。
世の中には沢山の人がいる。スムーズに世の中が動くため、目を瞑ること、なあなあにする、、そんな潤滑油がある。
私はとにかく情報を摂取していく体質で、愛想笑いとおためごかしの術を身につけ、誰とでも会話ができた。要するに、上手だった。
しかし、彼は下手だった。
彼と私が出会った頃、まだ世の中はオタクが迫害されていた時代で、ゲームセンターでいえばUFOキャッチャーは脇役。プリクラなんてものはそもそもまだなかった頃。
彼はテレビも見ない、ラジオもそんなに聞かない、手に取る本は自分の興味の向いたものだけ。
インターネットも引かれていない頃の、曲がることなくすくすくと育った、純粋なマニアック。
彼はゲームを作っていた。 私もゲームを作っていた。 二人とも、どちらかといえば仕方なくゲームを作っていた。