ゲームクリエイターの生と死

【荒んだアーティスト、デザイナー、クリエイターのためのガイドブック】 悲しい表現が含まれています。

有過失のゲームオーバー【ゲームメカニクス】

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ブログタイトル下部にナビゲーションを設置するにあたり、カテゴリ創設することにした。 このカテゴリ、「ゲーム開発」には主にゲーム開発時にぶち当たったデザイン上の疑問点などのメモ書きを書き連ねていくことになると思う。 疑問点というと大げさかもしれないような、「どっちがセオリーなのか?」といった問いかけが多くなるだろうという予感がしている。 揺蕩っているもの程、ネットに答えが存在しないからだ。

まずは書き逃げる。最後まで読んでも答えは「ない」。

まずは表題の「有過失のゲームオーバー」。 つまりは「うっかり死」である。

うっかり死はゲームを盛り上げるのか、盛り下げるのか。 端的に言えば、うっかり死の価値が知りたいのである。

ゲームの歴史を振り返れば、体力低下時にサウンドやヘッドアップでアラート表示するゲームが見られる。 それらは死への緊張感を高める。アクション性の高いものでは煽りとしても働く。きっと有効だと思う。 また、例えば将棋やトランプの世界においては王手やページワンといった宣言がある。これらも進行度を示す役割があり、有効だと思う。

とはいえ、納得のいく死orそれ以外を考える時、納得のいった死に方をしたからといって負けは負けとなる。負けは負けである。

そもそも納得のいく死に方をしたゲームを私はあまり愛したことがないような気がする。

これは優等生的なゲーム、親切なゲームという考え方につながるものかもしれないし、クソゲーマニアという一言でバッサリされちゃうものかもしれない。

現状、プレイヤーに優しいゲームは、物足りない彼氏のようなもの。 枠からはみ出ることのない、華のない芸人のようなもの。 そんな風に考える私がいる。

私はうっかり死させてくるような酷いゲーム程思い出に残してしまうし、なんでよ!と声を上げてしまうこともゲームの盛り上げにつながる要素と考えている、、気がする。

ので困っている。

山椒をウナギに振る人と振らない人の数を数えたらいいのだろうか。

コメントが切実に欲しい。