ゲームクリエイターの生と死

【荒んだアーティスト、デザイナー、クリエイターのためのガイドブック】 悲しい表現が含まれています。

トージャム アンド アール【に学ぶ】

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『Toejam & Earl』(トージャム & アール)は輝かしいSEGAの歴史に輝く、玉石の中の玉石として輝いているまことに輝かしいゲームの中のゲームであると私は思っているのです。

私のゲーム体験、歴史を振り返った時、このゲームの体験はスーパーマリオブラザーズと並ぶ程の価値なのだけれど、どれだけ熱を入れて話しても乾いた「ハイ」という返事しかもらえなかったりするので、その都度、私は生まれる国を間違えたんだろうなぁと思わされてしまいます。

この世にはアーティストが表現した素晴らしいゲーム、サイエンティストが構築した美しいゲーム、何の理想もない糞ったれが出鱈目に放ったクソゲーと呼ばれるゴミや、ひたすら平坦な板のようなものがありますが、ゲームと呼ばれる楽しいそれらには理念と呼ばれるものが大方付随しています。

逆に言えば、理念がないもの、言い表す要素がない(またはネガティブである)ものはゲームとして成立していないことが殆どです。

例えば、喫茶店とコーヒーを売っている店を仕分ける概念があるとして、それは

「喫」

の一文字で表されます。

一文字である必要はありませんが、そのように表せることがゲームの本質といえるもので、ついでに言えば、罰ゲームは

「罰」

の一文字となります。

罰がゲームかどうかは受け手の解釈に寄るのでしょうが、これは人生の解釈にも近い話で、そしてここから「人生はゲームか?」という疑問に繋がっていきますが、掘り下げると後悔しそうなので今日は止めておきます。

、、楽しいこと、びっくりすることを盛り込んでやろうという心意気がゲームという文化を育ててきました。

手つかずの領域を開拓する精神が切り開いてきました。

そういう楽しく新しい遊びに、私たちは育てられました。

そんな面白い遊びを教えてくれたゲーム開発者のお兄ちゃん達も、いまやおっさんを通り越して初老だったり、鬼籍に入られたり、ガンだったりしています。

勿論、私たちだって年を取りますし、いつかいなくなります。

、、運よく私たちは生きているんですね。。

トージャムアンドアールはランダムワールドを歩いて無くした物を探すゲームです。

道中では不可解な出来事に出くわします。いいことより悪いことの方が多いかもしれません。

ゲームオーバーを迎えた際には、毎度のように、「あぁ、なんかいろんな事があったね、、」と思わされます。

このブログを立ち上げた動機、心情に近いので、一本目として取り上げました。

このゲームを一緒に遊んでいた友人は今はもういません。

思い出のゲームです。