ゲームクリエイターの生と死

【荒んだアーティスト、デザイナー、クリエイターのためのガイドブック】 悲しい表現が含まれています。

故・岩田聡元任天堂社長【に学ぶ】

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社長に聞く、社長が訊く
そういう機会もなくなって久しいですね。

このブログは日常に触発されて思い出したこと等を、いなくなってしまった友人や親族の方に報告する目的で記述していますので、岩田社長研究の役には立たないかもしれません(ごめんなさい)。
でも、独自研究というかは中盤から後半に書いてます。


さて。
芸術の秋。
文化祭シーズンでもある秋。

今月(10月)の上旬、、会話した中学生が「文化祭、めんどくさい、イエー」と韻を踏んで近況を話してくれた。

なんでめんどいのか。。
答えは聞けばわかったのかもしれないが、面倒くさがられる気がしたのでスルーしていた。

気が付けばもう風も冷たい。
この季節は、私の一番好きな季節だ。

私は生来、好奇心が人一倍強い人間だった。
「なぜ部活動の掛け持ちはダメなの?」と掛け合うくらいには、あれもこれもやりたがる人間だった。

生き急ぐ生き方を自分が選んだつもりはない。
そういうふうにプログラムされている、、プログラムされたと思っている。

いろんなことがしたかった私は、運動部に入り、部室でゲームの練習と研究をしていた。
(運動部の練習は点数が出ないものが多いし、ダラダラとしているから、基本的にさぼっていた)

それから何年たっただろうか。私の作りたい、目標とするゲームというのはそのころからずっとずっと変わらずにいる。

その私が夢中になったゲームには、世界がない。
理由もない。ストーリーもない。
理由も何もないのに人は繰り返し繰り返しプレイしていた。

生きることとは何だろう?という中学生の根源的な悩みと無縁のようで、直結しているようで、この世界での体験は本当に不思議だった。

遊びたくなるから電源を入れる。
時間が来れば苦しくなって死ぬ。
それはなぜなのか。

殺されることが自明な世界に、人がわざわざやってくる。
それはなぜなのか。

きっと、何もなければ退屈だからだろうね、、と思うけれど、飲みたい水とそうでない水がこの世に存在するように、、合う空気と合わない空気があるように、、何かあればいいというものでもないのだ。

何も起こらない日々が日常なら、人はその日常にくたびれてしまう。
何かが起こりすぎる日々は言うまでもない。投げ出したくなるだろう。

そんな日々に存在していてほしい何かとは、、自分にとって自然なもので、心地よい刺激をもたらすもの。

日常を平坦と感じること自体は健康なのか?不健康なのか?
それはわからない。
時代が正しいのかどうか。それもわからない。
ただ、時間を超えることはできないのは大前提だ。

だから、今、現実的にできる逃避を、荒れ地に住む人は求める。
ここではないどこか違う空間を覗き見して、自然な居心地の良さや刺激に触れるのだ。

今日は一日中、正確には24時間ほどキーボードに向かい、、ただひたすらにデータを作っていた。
Excel、、じゃなかった。LibreOffice Calcは、、30回はゆうに落ちた。

イデアをリアルタイムに出しつつ、ひたすら加工して入力。
今回作るデータは1000件越えなので、1分掛ければ1000分、10分掛ければ10000分だ。

脳とキーボードを直結させるような気持ちでひたすらに。

時々Calcが停止して再起動して、私は悲鳴を上げる。

まるでゲームプレイのようにゲームを作っていた。

物を作ること自体が楽しいと感じた一日だ。
ただ、そういう感覚を話しても共感はなかなか得られないから、今こうして誰かに向けてブログを書いている。

今夏に一周忌を迎えた、任天堂元社長である岩田聡氏。
その一周忌に向けて同級生26人が記したという書籍が今週、NHKにて取り上げられた。

「岩田氏の原点」を知る同級生たちの証言がその電子書籍には詰まっている。。
そう。
この世を去ったものには例外なく「過去」があるのだ。

高校時代にポケコンでゲームを作り、友人たちに遊ばせていたという岩田氏はよく語られる。
ただ、それ以外にも、、多面的に、人は存在しているのだ。

人が何かに取り組みたいと思う気持ちの裏には、何かから逃げたいと思う気持ちがある。
時間に裏はないからだ。

私がゲーム制作に打ち込んでいる理由にも表と裏がある。
そして、一日は一日として過ぎていく。


今日は一日、裏側では思い悩んでいました。

誰かと、誰とでも、心を重ねればきっと言葉が通じる。
そう信じたいですが、私も若くはありません。
言葉を重ねれば重ねるほどにディティールは露わになり、すれ違っていくことを知っています。

そう思いながらブログ(長い)を書いています。

岩田氏は任天堂の社長就任後、全社員と面談したという逸話を残しています。
岩田さんが社長に就任した2002年の社員数は2977人。。10分掛けたら何分でしょうか。

私は誰かと話すとき、誰かといるとき、その相手を知ろうとして、楽しませようとして、、翌日には燃え尽きるような生き方をしていて、、。

加減を知る、足るを知る。
年齢相応にできているつもりですが、、なんでしょうね。

きっと、26人分で分担して一冊の本を仕上げるようなやり方ができたらよかったんです。
そういう手段を選べない自分の性分にきっと問題があるんでしょう。
私はいなくなった友人を一人で暴いて無期限に記録したいと思っているんです。

まあでも、ここで思うことというのは、岩田さんは「なぜに全社員を自分一人で見ようとしたのか」という疑問です。

分からないことを知ろうとするときに、伝言ゲームは選べない。
そういう考え方が少しはあったんじゃないかなと思います。
(そうでなければただの顔合わせですね)

幸いにも私は友人の陰を追うだけですし、生き証人も多くありません。
伝言ゲームの数自体も多くはないですが、全てが伝言ゲームです。

死人に口はないともいいますしね(ブラックジョークですね) ついでに書きますが、26人が証言してくれるというのは皮肉抜きで羨ましく思います。


長いので締めます。

私が悩んでいることというのは、これまでにできていたことができなくなったことに起因しています。
私は問題解決をしようとするときに、信頼のおける友人にそれとなく都度聞いていたんですね。

そして、それが今はできないんですね。。

私と友人とは、糸井(重里)さんと岩田さんのような関係だったのかもと思ったのです。

そんなに偉くないですが。

結びつきは、そういう感じで。

、、糸井さんの新作が遊びたいですね。

(今日はずいぶんと泣き言や願望を書いたので、これで終わります。読み直しもしていません)