ゲームクリエイターの生と死

【荒んだアーティスト、デザイナー、クリエイターのためのガイドブック】 悲しい表現が含まれています。

ポケモンGO【に学ぶ】

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ポケモンGOは2016年7月6日にロンチされたそうです。 一周年を迎えたと聞き、正直驚きました。 一年が早い。。

日本版のリリースは上記から半月後とのこと。ますますびっくりです。

筆者はポケGOの聖地と呼ばれた錦糸町錦糸公園近隣に住んでいることもあって、昨夏は「随分と変わってしまったな」と思いながら、ざわめく公園を眺めていました。

公園の遊具にはキープアウトのような立ち入りを制限する黄色のテープ。 ルールを提言する張り紙はあちこちに貼られ。 看板が建てられ。 抗うように看板は取り外され、投げ捨てられ。

芝生は荒れ。 芝生は枯れ。

人を動かすことの恐ろしさは経験と体感で知っているつもりでいましたが、私の知識はチケットとスタッフ、そして日程に制限されたものであったと知りました。

若者が大声を上げます。

カメックスがいたぞ!」

驚きがざわめきとなり、そのざわめきは伝播してどんどん遠くへ広まり、、人民の大移動が始まり。。

これがムーブメントかと思い知りました。

それからのこと。死者が出たとの報告で全国が騒がしくなりました。

同時に逮捕者が生まれました。

(私の中では)ゲームとロボットはイコールではありませんが、ロボット三原則ではありませんが、、ゲームが社会に悪影響を与えたことに心が痛みました。

私にとってのゲームとは身体と心を育てるツールという定義だったからです。

私の考えるゲームとは、ギャンブル装置ではありませんし、洗脳装置でもありません。

日常で摂取できないものを補うためのサプリメント的なもの、叶えられない驚きや楽しさを提供する装置のように考えています。

遊園地や公園の遊具に安全が担保されているように、ゲームにも安全が担保される「べき」、、というか当然に担保されている「筈」と思っていました。

しかし。

本日、午前4時、、ソシャゲ課金で離婚しそうな夫婦から「価値観違い過ぎてもうダメかも」と連絡が入りました。

私は10年後も「ゲームは健全な趣味」と言い張れるのか、ちょっと自信がなくなってきました。

悪意をばら撒く糞バカというのは(自覚的か無自覚的かはさておき)今日もどこかで糞な企みをしているわけです。

現代アートの名を借りて悪意をばら撒いたカオスラウンジ(ほぼ駆逐済)のように、糞バカが正真正銘の糞バカであれば対処も楽なのでしょうが、、金儲けのプロは世論形成もゲームのように軽く成し遂げます。

私の愛したゲームがこれ以上汚されないようにと願います。

10年経っても楽しい思い出として振り返ってもらえるような文化として、これからも愛される存在であっても欲しいとも願います。

短冊がないのでブログに書きました。

願い事を本気で叶えるために、前を向いて、自分も力のひとつになりたいと願います。

追記:離婚は自業自得ですね。制御してこその自分だと自分にも言い聞かせています。想像力の問題です。