ゲームクリエイターの生と死

【荒んだアーティスト、デザイナー、クリエイターのためのガイドブック】 悲しい表現が含まれています。

イースター(復活祭)

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運命とはあらかじめ定まったものかとか、揺蕩っているという言葉だとかを卵を茹でながら考えていた。

私の友人は「卵は茹で!」と言い張って引かない人だった。
玉子魔人という高橋克彦のエッセイシリーズに影響を受けたとは聞いている。
ひたすら剥いては呑み込んでいくのをひたすら眺めていた記憶がある。

今週、東京は例年通りに各地区で桜祭りの予定が組まれていた。
しかしながらどの公園も灰色のムードしかない。

私の部屋にはうさぎのピッピが寝そべっている。
つい3日前までテレビの前で息をしていた。
元々穏やかで主張しない性格だったからかあまり違和感がない。

死んでも存在感が変わらないというのは凄いことだなと思う。
定まった形があるからだろうか。

春の存在感を秋に思い出すことは無いように、半年もすれば変わるだろうか。

忘れてしまうだろうか。
(死んでしまったあなた方はどうなのか?)

など、怖い話の類にしたいわけではなくて、もう30歳にはなるであろうフロッピーの中身を蛍光灯の光に透かそうとしながら思ったのだ。

春にして君を想うという曲を出して今でも思い思われている小沢健二をちょっと羨ましく思ったりしたこともあって、人間は痛みも喜びもすぐに忘れてしまう生物だと思うから、かつてここに愛情があったんだということはできるだけ忘れないように記しておきたいなと思った。

HDDのバックアップは取るのに自分の記憶のバックアップは取らないのはなんか不思議だとも思ったことで、ブログを書く理由が一つ増えた。

現に、友人が好きだったのが硬茹でなのか半熟なのかももう思い出せなくなっていて、それが少し寂しい。

(財布の中のLOTO7の結果はまだ見ていないけれど見る必要がないと思う)

32階建て、各階32室のビルを買い、ドット絵でヒヨコでも書いたら子供の頃の気持ちが戻って明るくなるような気がした。