ゲームクリエイターの生と死

【荒んだアーティスト、デザイナー、クリエイターのためのガイドブック】 悲しい表現が含まれています。

NX【に学ぶ】

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正体不明のものが姿を表す。正体が判明する。

昨日、NINTENDO SWITCHなる新ハードが発表になった。

人は暴きたがる生き物だからワクワクして沸き立つわけだけれども、想像を上回ることはなかなか難しい。

ネットでは、未だ判然としないLAN端子の有無についてのやり取りの中、「任天堂だぞ!」というトレンディエンジェル風の名言というか迷い言というかが生まれてしまっていた。

任天堂は間違いなく「らしさ」というものを持っている企業で、そのアイデンティティーを保とうとしている、、んだろうけれど、瞬間瞬間語りたがる(語らせられる)ために、時流に流された後、正反対のコメントや行動をすることが多々ある。

私はNOAのレジー社長が発した「インディー開発者に門戸を開放する予定はない」という数年前の発言をちゃんと覚えている。

いつまでも神様気取りなんだね、と心から寂しく思ったのだ。

そして、一年程前の「インディーを愛している」という発言を見たとき、やりきれない気持ちにもさせられている。

なんだか、セックスしたいから愛とか言ってみた風で、辛かったのだ。

(ソフトの谷間は作りませんという発言の後に待ち受けていたのが平坦な砂漠だったことも忘れない)

たまに思うことだが、私が好きだったマリオというのは、甲高い声で叫んだり、頭にプロペラとかつけたりするわけわかんない感じじゃなくて、ちゃんと汗かいてる風の「ちゃんとしたおっさん」だった。

、、らしさを見失ったり、見誤ったりしないように、身に刻みたい。

(と書いてみたけど、自分らしいゲームを作ろうとするとどうしても気持ち悪い見た目とシステムになっていく地獄から今日も逃れられないし、相談相手はもういない)