分解1
カタログ。プログラム。図鑑。
既製品にあまり心を動かされることのない私たちは部品となるものを好んでいた。
何かに感動することがないわけではない。
ただ、作られたもの、与えられたものをそのまま受け取って素直に感動するより、「こうしたらもっといいのにね」と考えてしまう様な、ちょっと人より面倒な性質だったんだろうと思う。
「どう組み合わせたら面白いか」
目の前にあるものは材料として考える。
ある種のカップリング厨である私たちは足し算や掛け算でものを考えて、いちいちそれを披露しあっていた。
昼食に購買で売られるコッペパン一つをとっても、「焼いたらもっと旨くならないかね?」と同意を求められる間柄だった。
上の発言は悪く言えば現状批判的で、良く言えば未来を見ているともいえる発言だが、彼は空気を読む性質ではあったので、常日頃、誰彼の前で批判を繰り広げていたわけではない。
私の前ではそういう愚痴や批判の類ととられるような発言をしてくれていた。
だからこそ私も本音を披露する体をとれたのだ。
彼は電子工作を得意としていて、学校が早く終わる日には電子部品を扱う店、パーツ屋に向かうこともあった。
その時の彼は、大体、何を作るか、作ろうとしているかを伏せたままだった。
自身の行動について語りたがらない彼の性格がよく出ている。
私は小学生時分に作ったラジオから音が出なかったトラウマを抱えているので、パーツの類は最初から無視していて、ジャンクの入れられた箱から再生できる中古品を選別する作業に夢中になってしまう。
彼は欲しいパーツが最初から決まっているので、用事はものの2分で終わってしまう。
私は「動くかなー、、動かなかったら損だなー、、動いたら得だなー」と同じ所を巡っている。
その後ろで彼はのんびりと待つ。
結論が出せずに立ち止まり悩んでいる私。早々に事を終え見守る彼。
周囲から見たら同じ人種に分類されるが、本質の部分に少し違いがある。
私はこのブログを開設するまでに二か月間ほど悩んでいる。
様々なサービスを比較検討して、後悔がないように進める。
電子工作もそうだ。私は失敗を恐れるから、スタートボタンを押さない。
彼は失敗を恐れない性質だった。
私のように恰好つけようという意識がないからだろう。
そんなところが恰好よかった。
彼は躊躇いなく物を分解していく。
直す自信があるからだ。
私にはできないことだ。
だから今、彼はこの世にいないんだろうか。