ゲームクリエイターの生と死

【荒んだアーティスト、デザイナー、クリエイターのためのガイドブック】 悲しい表現が含まれています。

Dead or Alive【に学ぶ】

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「生と死」

当ブログのタイトルにもある「生と死」は、古くからの私のテーマだ。

この世に存在する全てはどこかで生まれ、どこかで滅ぶ。つまりは死する。

誰もが意識的であるはずの生(そして死)について、私はことさら自覚的だ。

それは、人よりも多くの人生を生きたからでもある。 (逆に言えば、私は、一般的な誰彼より、確実に多くの死を体験している※) ※ゲームオーバーを迎えた数だけ反芻している私の死生は、シュタインズ・ゲート運命石の扉)の数だけある。

先ほど、Dead or Aliveのリーダー、ピート・バーンズ(Pete Burns)の訃報が流れた。

ピート・バーンズは整形依存の第一人者という扱いで、晩年は多くの番組で壊れた顔面と私生活を晒していた。
整形費用は一億円を超え、ついには破産に至った彼の心はどのような形だったのか。

想像を巡らせてみたいが、彼は一般的な、いわゆるノーマルな性癖の持ち主ではなかった。単純に推測できるような人間でなかったから、いつまでも消えることなく語られ続ける花火であったのだろう。

ピートの整形依存は、老いへの恐怖からではない。
死への抗いでもない。

理想に近づこうという、クリエイティブな動機がそこにある。
(ヤブ医者被害からの回復も目的であるが、それも理想に近づけたいという動機には変わりない)

Dead or Aliveは1985年にYou Spin Me Round [Like A Record]をリリースし、世界を席巻した。
このニュースも今この瞬間、世界に流れているのだろう。

今月はボブ・ディランノーベル文学賞を受賞するというニュースも流れた。

Like a Rolling Stone、そして、Like A Record。
言葉は似ているが、一方は転落という破滅(死)を客観で歌い、一方は異性との営み(つまりは生)を主観で歌っている。

ディランは「プロテスト・シンガー」と呼ばれるように、抗議の歌詞を書いている。

、、反体制というスタンスで創作すること、し続けることは大変だと思う。
そんなにそんなに人の為すことに批判的でいられるか?と思うからだ。
ジョン・レノンに至っては、主張がないとまで批判されてしまっているから、もしかしたら文句をつけるのが趣味だったのかもしれないが)

、、そういう点を踏まえて、私にとって有意義であるものを考えた時、、私が賞を与えたいと思うのはピートの人生の方だったりする。
作品と人格は別という前提は勿論分かっている。
だけれど、私は、、人格や生き様は作品とも一体化するものだと思うし、一体化させて考える事こそが、物と作品の区分を作るように思っている。
(それは、大地震で割れた地面がどれだけ美しかろうが、そのものを芸術と考えないという姿勢でもある)

、、私はこのブログに誰の得にもならない文章を書き連ねるつもりでいる。
意固地に「それでいい」と思っている。 誰の得にもならないブログであっても、これが正直な記録であり、ドキュメントとして成立するなら、、価値はなくとも誰かの材料にはなると思っているからだ。

もし、これら一連の文章がフェイクだったなら、、それは申し訳ないほどに無価値だと思う、、といったような考え方にも繋がっている。

他者を論うことは芸術ではない。。
無論このブログの文章も芸術ではない。。

私が理想とする芸術家の姿勢は、己の信じる美に向かい、ただただ邁進する姿勢で、そこに他者は不要で、、。
私は意固地にそう信じている。

信じる美が「生」なら、そっちに向かって進めばいい。
どう抗っても、ゴールはゲームオーバーという「死」だ。

お迎えの直前の走馬燈が他者を観察する映像で埋まっていたならそれは無駄な人生だと思うし、ゆえに、溝がなくなるまで回され続けてバカになったレコードを、レコードの中のレコードと考える。

それは味のなくなったガムではない。

死んでもレコード。
死んでも人だ。

擦り減り、死ぬことで結実する生き様もきっとある。

いつまでも消えることなく語られ続ける存在が、消えても語られる存在に変わり、なお作品が消えない。
そんな作品、足跡、思い出を残してくれた偉人を賞賛したい。

追記:Team Ninja板垣伴信さん、Devil's ThirdとDevil's Third Online、カルチャーブレーンと遠藤さんについても書きたかったのですが、長くなったのでまた後日に書きます。

追記2:板垣伴信さん率いるValhalla Game Studiosが、3DS用新作ソフト「桃太郎伝説2017 たちあがれ日本!!」を手掛けたというニュースが丁度今、飛び込んできました。権利関係が拗れ、今後のリリースはないとまで言われていた桃鉄ですが、どういう経緯でリリースに至ったのでしょうか?「作品と死」というテーマでこれもまた後日に書きたいと思います。